201503011について
今日は3月11日。
東日本大震災からもう4年です。
人によって感じ方は様々でしょうが、私は早いと感じます。
昨日Twitterで見つけたこちらの情報。
早速今朝検索してみました。
2011年3月11日から今までの検索ワードが可視化できるようになっている。
検索数が多いほど文字が大きくなっており、2011年3月の午前中は新幹線や高速道路、為替という文字が目立つけど、その中にも小さく地震という文字があった。
14時のタイミングでそれが爆発するかのように勢いよく大きくなったのを見て、あの日のことが思い出された。
あの日、私は雑誌の編集プロダクションに勤めており、そのロケハンで日吉駅にいた。綱島駅に移動し、さて商店街を歩こうかというタイミングで地震に遭った。
あんなに大きな地震は生まれて初めてで、座ったら立ち上がれ無さそうだったらから、何かあったらすぐ移動できるように電柱につかまり、あとは上から何か落ちてこないかどうかだけ気にしながら、なんとかやり過ごした。
地震が落ち着き、近くのお店から聴こえてくるラジオに耳を傾けると、震源地が岩手だと聞いて頭が真っ白になった。
私の実家は秋田で、家族はみんなそこに住んでいる。岩手は隣県なので、秋田も結構な被害を受けているんじゃないかと思った。
ラジオアナウンサーが、津波が発生する、沿岸の人は早く逃げてと慌ただしく言っていた。
私はすぐ実家に電話するもまったく繋がらない。
この時ほど、頭が痛くなるくらいドキドキしたことはない。
家族をいっぺんに失うかもしれない恐怖を味わった。
幸いにも秋田の被害は大きくなく、私も家族も地震の翌日か翌々日くらいに電話が繋がりみんな無事だと知った。
だからと言って良かったと終わらせられるような出来事では当然なくて、多くの方が亡くなられたのは事実。
地震だけでなく、二次災害によるものだったり、避難してからだったり。
悲しいだけでは到底表現できない出来事だった。
あれから4回目の3.11を迎えたわけだけども、私自身はありがたくも幸せに生きさせてもらっている。
地震以降も日本や世界でやれ殺人だ、やれ戦争だと、規模の大小はあるものの、人は亡くなっている。
地震があったからに限らず、やはり人っていつ死ぬか分からないなぁ。
本当に実感している。
老衰で死ぬ人なんて、これまで1人しか、私のおおばあちゃん(ひいばあちゃん)しか見たことがない。
天命を全うして死ぬ、なんてそうそうできない。全うする前に多くの予期せぬことで命を落とす人のほうが多い。
事件や災害に巻き込まれたり、病気になったりといろいろあるけど、全部に共通して(個人的に)言えることは「正しい情報を知ること」なんじゃないかと思っている。
正しい情報を知っているか、知った上で実行できているか、気を付けているか、当たり前すぎて油断していないか。
それをやった上で、あとは悔いのないように毎日過ごす。
大勢の人を救うことはできないけれど、自分が元気で生きてさえすれば少なからず自分の家族は幸せにできる。
悲しみだけで捉えず、ネガティブだけで捉えず。
ちゃんと思い返して動いていくためにも、忘れてはいけないことのひとつが
『3.11』です。